lsvh
第8課
近代の文学 (2)
●文学の特徴
明治新政府(めいじしんせいふ)による教育(きょういく)の徹底(てってい),マスコミの普及(ふきゅう)などによって、作者層(さくしゃそう)、読者層(どくしゃそう)ともに拡大(かくだい)した。このころから独自(どくじ)の主張(しゅちょう)を持(も)った主義(しゅぎ)、流派(りゅうは)、雑誌(ざっし)などによる集団文学活動が盛(さか)んになった。
人間性(にんげんせい)や自我(じが)の探求(たんきゅう)を主(おも)なテーマとした小説(しょうせつ)、詳論(しょうろん)が文学(ぶんがく)の中心(ちゅうしん)になる。これは多(おお)くの庶民(しょみん)に指示され「近代市民の文学」とも呼ばれる。
近代の小説の新しい流れ
近代文学の個性,自我の探求というテーマは、新しい思潮と一致し、多くの市民に受け入れられた。
Ⅰ 写実主義(しゃじつしゅぎ):近代文学の出発点(しゅっぱつてん)(明治(めいじ)10年から20年)
明治初頭(めいじしょとう)の啓蒙期(けいもうき)には、西欧(せいおう)を知るための手段(しゅだん)として、西洋文学(せいようぶんがく)の翻訳(ほんやく)・輸入(ゆにゅう)が行われた。これらは「実用(じつよう)の学問(がくもん)」とも呼(よ)ばれ、文学的価値(ぶんがくてきかち)はまだとぼしかった。これに対(たい)し、文学そのものの価値(かち)を強調(きょうちょう)し、政治(せいじ)や思想(しそう)、道徳(どうとく)の、文学への支配(しはい)を否定(ひてい)した立場(たちば)の写実主義(しゃじつしゅぎ)がおこった。文学の本質(ほんしつ)を訴(うった)え、人情(にんじょう)や世相(せそう)を生(い)き生(い)きと写実的(しゃじつてき)にかき、文学(ぶんがく)の自立を目指した。
二葉亭四迷(ふたばていしめい)が『浮雲(うきぐも)』を、口語体(こうごたい)で書いた。この口語体小説の出現はまったく新しい表現方法として注目された。
※言文一致体(げんぶんいっちたい)<口語文(こうごぶん)の完成>
もともと小説は文語体(ぶんごたい)<書き言葉>で書くものとされていたが、口語体<話し言葉>による新しい文章表現(ぶんしょうひょうげん)が提唱(ていしょう)、確立(かくりつ)された。これは、口語体(こうごたい)によるより写実的(しゃじつてき)な描写(びょうしゃ)を強調(きょうちょう)する「言文一致運動(げんぶんいっちうんどう)」といわれるもので、これにより、写実主義(しゃじつしゅぎ)は近代日本文学(きんだいにほんぶんがく)の出発点(しゅっぱつてん)と言われる。
Ⅱ 懐古主義(かいこしゅぎ):(明治20年から30年)
西欧化(せいおうか)の傾向に反発(はんぱつ)し、古典回帰運動(こてんかいきうんどう)の名(な)のもとに、古典(こてん)を手本(てほん)として伝統的文学作品(でんとうてきぶんがくさくひん)を発表(はっぴょう)。
Ⅲ 浪漫主義:(明治20年から30年)
古典回帰(こてんかいき)に反対(はんたい)する立場(たちば)で伝統(でんとう)にとらわれない個人の自由な感情(かんじょう)、思想(しそう)の尊重(そんちょう)を主張(しゅちょう)、キリスト教(きょう)の個人重視(こじんじゅうし)の思想(しそう)もとり入(い)れた。ドイツ留学(りゅうがく)から帰国(きこく)した森鴎外(もりおうがい)によって始(はじ)まった。
代表的作家・作品
森鴎外(もりおうがい) 1826年~1922年
作家生活(さっかせいかつ)の前半(ぜんはん)は浪漫主義(ろうまんしゅぎ)。後半(こうはん)は反自然主義(はんしぜんしゅぎ)。東京帝国大学(とうきょうていこくだいがく)(現在(げんざい)の東京大学(とうきょうだいがく))医学部卒(いがくぶそつ)。軍医(ぐんい)となり、研究(けんきゅう)のためドイツに留学(りゅうがく)。ドイツで西欧(せいおう)の文学に影響をうけ、帰国後、文学活動を開始。小説・翻訳・評論で活躍。代表作は、ドイツでの体験をもとにした「舞姫(まいひめ)」(恋愛小説)、後半の歴史小説、史伝(しでん)の「高瀬舟(たかせぶね)」「山椒太夫(さんしょうだゆう)」。夏目漱石(なつめそうせき)と共に、明治時代の二大文豪(ぶんごう)と呼ばれる。
樋口一葉(ひぐちいちよう) 1872年~1896年
歌人(かじん)から小説家(しょうせつか)に転向(てんこう)した。封建社会(ほうけんしゃかい)と貧困(ひんこん)に生(い)きる女性(じょせい)たちの苦(くる)しみをかく。代表作(だいひょうさく)は、少年少女(しょうねんしょうじょ)の心理(しんり)をかいた「たけくらべ」、遊女(ゆうじょ)の死をかいた「にごりえ」など。一葉自信も、婚約者や小説の師匠との悲恋、貧困の末、結核(けっかく)により夭逝(ようせい)(若く死ぬこと)。悲劇の作家と言われてる。
IV. 自然主義:(明治30年から40年)
※近代小説の主流
19世紀後半、フランスでさかんになった自然主義文学(しぜんしゅぎぶんがく)の影響(えいきょう)をうけたもの。特(とく)にフランスの作家(さっか)、ゾラの影響(えいきょう)を受(う)けた立場(たちば)<人間(にんげん)を客観的(きゃくかんてき)にかこう、という立場>が流行した。
自然主義(しぜんしゅぎ)とは、冷静(れいせい)で客観的(きゃくかんてき)な立場(たちば)で人間(にんげん)の本質(ほんしつ)をありのままにかく主義(しゅぎ)。自分(じぶん)の体験(たいけん)を経験的事実(けいけんてきじじつ)として、それをもとにした自己告白(じここくはく)によって人生(じんせい)を客観的(きゃくかんてき)に描写(びょうしゃ)する。
その結果自己(けっかじこ)の経験(けいけん)を告白(こくはく)する『(「)私小説(ししょうせつ)』が生まれた。これは明治(めいじ)40年代(ねんだい)の小説(しょうせつ)のスタイルの主流(しゅりゅう)になる。
しかし、自然主義(しぜんしゅぎ)の作品は、自己(じこ)の告白(こくはく)にかたよりすぎるため、社会性(しゃかいせい)にかけるという欠点(けってん)もあった。また、人間(にんげん)の醜悪(しゅうあく)な面(めん)だけに注目(ちゅうもく)する視点(してん)の狭(せま)さもあった。
代表作品(だいひょうさくひん)は、「蒲団(ふとん)」田山花袋(たやまかたい)、「破壊(はかい)」島崎藤村(しまざきとうそん)
V. 反自然主義:(明治40年から大正時代)
自然主義(しぜんしゅぎ)の狭(せま)い人間描写(にんげんびょうしゃ)に反対(はんたい)する立場(たちば)。自然主義(しぜんしゅぎ)は自己(じこ)の経験(けいけん)を並(なら)べるだけであり、人間(にんげん)をかくためにはもっと大(おお)きな視点(してん)(社会性(しゃかいせい))が必要(ひつよう)だと主張。
森鴎外(もりおうがい)は後期(こうき)、この反自然主義(はんしぜんしゅぎ)の中心人物(ちゅうしんじんぶつ)となる。
もう一人の文豪(ぶんごう)、夏目漱石(なつめそうせき)もこの主義(しゅぎ)の中心人物(ちゅうしんじんぶつ)である。
①余裕派
自己(じこ)の経験(けいけん)にとらわれるのをやめ、もっと広い視点(してん)をもち、人生(じんせい)を余裕(よゆう)をもってみつめようとする立場(たちば)。夏目漱石(なつめそうせき)、森鴎外(もりおうがい)が中心(ちゅうしん)となった。
夏目漱石(なつめそうせき) 1867年~1916年
英国留学(えいこくりゅうがく)を経(へ)て、英語教師(えいごきょうし)から作家(さっか)になる。
前半(ぜんはん)はユ(ゆ)ーモア(もあ)あふれる作品(さくひん)、後半(こうはん)は利己主義(りこしゅぎ)を批判(ひはん)する作品(さくひん)が中心(ちゅうしん)となる。近代人の愛やエゴイズムをテーマに<知性の文学>を確立した。代表作は、「坊(ぼっ)ちゃん」「我輩(わがはい)は猫(ねこ)である」「こころ」など。
(別紙の102ページ参照)
②耽美派(たんびは)
自然主義(しぜんしゅぎ)が、人間の醜(みにく)い部分(ぶぶん)に注目(ちゅうもく)するのに対して、人間の<美(び)>に注目(ちゅうもく)する立場(たちば)。<美(び)>を最高(さいこう)のものとし、官能的、享楽的人生観で、思想よりも感覚を重視した。
中でも谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)の<悪魔主義(あくましゅぎ)>は、醜(みにく)さ、不健全(ふけんぜん)をあえて示し、その中に<美>を追求しようとする立場で、倒錯(とうさく)や魔性(ませい)の中に女性の美をかいた。
③白樺(しらかば)派
雑誌(ざっし)「白樺(しらかば)」(1910年:明治(めいじ)43年創刊(ねんそうかん))に参加(さんか)した作家(さっか)たちによって推進(すいしん)された。個人の尊重(そんちょう)、善(ぜん)の追及(ついきゅう)を基本(きほん)とする、人間肯定の文学(ぶんがく)を主張(しゅちょう)。人道主義(じんどうしゅぎ)、つまり理想主義(りそうしゅぎ)の名(な)で、自然主義(しぜんしゅぎ)、耽美派(たんびは)の双方(そうほう)を否定(ひてい)し、個人(こじん)の可能性(かのうせい)、成長(せいちょう)を強調(きょうちょう)した。白樺派は「人道主義」「理想主義」とも呼ばれる。当時の大正デモクラシーの新思想に乗り、白樺派文学は明治から対象にかけて大流行した。
白樺派の代表者は、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)、志賀直哉(しがなおや)
◆大正デモクラシー:大正時代(たいしょうじだい)に、大都市(だいとし)で起(お)こった民主主義運動(みんしゅしゅぎうんどう)。市民社会(しみんしゃかい)と近代的精神(きんだいてきせいしん)の発展(はってん)を背景(はいけい)に、封建的(ほうけんてき)な道徳(どうとく)や旧来(きゅうらい)の習慣風俗(しゅうかんふうぞく)が個人本位(こじんほんい)の自然主義的風潮(しぜんしゅぎてきふうちょう)によって否定された。
④新思潮(しんしちょう)派
新現実主義(しんげんじつしゅぎ)・理知派(りちは)とも呼(よ)ばれる。自然主義(しぜんしゅぎ)が<真(まこと)>を、耽美主義(たんびしゅぎ)が<美(び)>を、白樺派(しらかばは)が<善(ぜん)>を主張(しゅちょう)したのに対(たい)して、それをふまえた上(うえ)で、近代個人主義(きんだいこじんしゅぎ)にもとづいて、現実(げんじつ)をさらに理知的(りちてき)に解釈(かいしゃく)しようという主義(しゅぎ)が、大正時代中期(たいしょうじだいちゅうき)に現(あらわ)れた。これが新思潮派(しんしちょうは)である。
彼等(かれなど)が発行(はっこう)した雑誌(ざっし)「新思潮(しんしちょう)」の名前(なまえ)から新思潮派(しんしちょうは)と呼ばれている。心理描写(しんりびょうしゃ)に特徴(とくちょう)がある。白樺派(しらかばは)に対(たい)し、理想(りそう)だけではなく現実(げんじつ)の把握(はあく)が必要(ひつよう)だと主張(しゅちょう)した。
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ) 1892年~1927年(昭和2年)
心理分析が巧み。
短編小説の名手
代表作は、「羅生門(らしょうもん)」「蜘蛛(くも)の糸(いと)」など。
第9 課
近代の文学 (3)
Ⅵ プロレタリア文学:(大正10年から昭和10年ごろ)
労働者の文学
「プロレタリア」とは、ドイツ語で、無産階級(むさんかいきゅう)、最下層民(さいかそうみん)を意味(いみ)する言葉(ことば)。(反対(はんたい)は、裕福層(ゆうふくそう)という意味(いみ)の「ブルジョア」)
第一次世界大戦後(だいいちじせかいたいせんご)の、労働者(ろうどうしゃ)と資本階級(しほんかいきゅう)の対立(たいりつ)を背景(はいけい)に成長(せいちょう)した。労働者(ろうどうしゃ)の階級意識(かいきゅういしき)の自覚(じかく)と社会主義運動(しゃかいしゅぎうんどう)の拡大(かくだい)により、労働者(ろうどうしゃ)の文学と社会主義文学(しゃかいしゅぎぶんがく)がいっしょになりプロレタリア文学が生まれた。
<革命(かくめい)のための文学(ぶんがく)>がスローガンにされ,労働者(ろうどうしゃ)の思想(しそう)(プロレタリアート)感情(かんじょう)(怒(いか)りや悲(かな)しみ)の表現(ひょうげん)を目指(めざ)す、
<革命(かくめい)の文学>である。社会不安(しゃかいふあん)とともに成長(せいちょう)、小説だけでなく詩(し)も誕生(たんじょう)した。
代表作は「蟹工船(かにこうせん)」小林多喜二(こばやしたきじ)。
昭和(しょうわ)に入(はい)ると、軍国主義(ぐんこくしゅぎ)によって社会主義思想(しゃかいしゅぎしそう)が禁止(きんし)され、ブロレタリア文学も弾圧(だんあつ)された。国家の弾圧(だんあつ)でブロレタリア文学(ぶんがく)は衰退(すいたい)、多くの作家(さっか)が苦悩の末プロレタリア主義(しゅぎ)を捨(す)てた。
その彼(かれ)らの書(か)いたものを転向文学という。
Ⅶ 芸術派:(大正10年から昭和10年)
文学による文学を目指す
プロレタリア文学に対抗(たいこう)する立場(たちば)。思想(しそう)や階級闘争(かいきゅうとうそう)に文学を利用(りよう)することを批判(ひはん)した。<革命(かくめい)の文学>に対し、<文学の革命(かくめい)>を主張。
①新感覚派
芸術(げいじゅつ)の尊厳(そんげん)を強調(きょうちょう)。写実主義(しゃじつしゅぎ)に対(たい)して、物事(ものごと)を感覚的(かんかくてき)に狂言(きょうげん)する立場(たちば)で文章表現(ぶんしょうひょうげん)の改革(かいかく)を目指(めざ)した。
川端康成(かわばたやすなり) 1899年(明治32)~1972年(昭和47)
日本(にほん)の伝統美(でんとうび)をテ(て)ーマ(ま)に叙情的作品(じょじょうてきさくひん)を数多(かずおお)く発表(はっぴょう)。
日本初(にほんはつ)のノーベル文学賞受賞(ぶんがくしょうじゅしょう)。
代表作(だいひょうさく)「雪国(ゆきぐに)」は世界的(せかいてき)に有名。
②新興芸術派
文学(ぶんがく)の芸術性(げいじゅつせい)を守(まも)りつつ、庶民(しょみん)の哀歓(あいかん)(かなしみとよろこび)ユーモアをユーモアをこめてかいた。
井伏鱒二(いぶせますじ) 1898年(明治31)~1993年(平成5)
友人(ゆうじん)の作家(さっか)すべてがプロリタリア文学(ぶんがく)に参加(さんか)する中(なか)で、自分自身(じぶんじしん)の芸術(げいじゅつ)への信念(しんねん)を守(まも)り、同調(どうちょう)しなかった。戦後(せんご)に発表(はっぴょう)された「黒(くろ)い雨」は広島の原爆における悲劇を日常生活の中に静かに描いた感動作。
Ⅷ 昭和10年以降の文学
プロレタリア文学(ぶんがく)の崩壊(ほうかい)、またプロレタリアからの転向者(てんこうしゃ)が続(つづ)いた。これらの転向者(てんこうしゃ)は、マルクス主義放棄の告白(こくはく)を「転向文学(てんこうぶんがく)」として発表(はっぴょう)した。プロレタリア文学崩壊後(ぶんがくほうかいご)、文芸復興(ぶんげいふっこう)の動(うご)きが盛(さか)んになったが、時代(じだい)は戦争(せんそう)へと続(つづ)いていった。文学(ぶんがく)も国家(こっか)による支配(しはい)を受(う)け、戦争(せんそう)の宣伝(せんでん)のための「国策文学(こくさくぶんがく)」のみになり、文学的価値(ぶんがくてきかち)のある作品(さくひん)は消(き)えていった。
第10 課
現代文学
現代の文学
第二次世界大戦後~現代
●時代背景
戦後(せんご)、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部(れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ))の政策(せいさく)とともにアメリカの新しい風潮(ふうちょう)が流入(りゅうにゅう)し、言語、表現(ひょうげん)の自由が強調(きょうちょう)された。主権在民(しゅけんざいみん)、男女平等(だんじょびょうどう)など日本人の価値観(かちかん)も変化(へんか)し始(はじ)めた。
戦後(せんご)の復興(ふっこう)から高度成長期(こうどせいちょうき)を経(へ)て日本は経済大国(けいざいたいこく)に成長する。しかしその反面(はんめん)、社会的(しゃかいてき)、政治的問題(せいじてきもんだい)も多(おお)く発生する。
平成(へいせい)に入(はい)るとバブル経済(けいざい)が崩壊(ほうかい)、経済改革(けいざいかいかく)、政治改革(せいじかいかく)が大(おお)きな課題(かだい)となっている。現代(げんだい)において、人々は人間の生き方や精神(せいしん)という根本的な問題にも注目している。
Bạn đang đọc truyện trên: Truyen4U.Com